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とらわれない

先月、父親が亡くなりました。
80歳でした。

 

2年前に肺がんの手術をして

去年の秋にがんが再発し

余命半年と宣告されました。

 

本人にもそのことを伝えたら

「そうか」と

普通に答えていました。

 

その後父親は

何事もなかったかのように

いつもの畑の世話をしたり

孫と遊んだり

前と変わらない生活を続けました。

 

それでも身体はちょっとづつ弱ってきて

息がしづらくなってきたようで

何度か入退院を繰り返しました。

 

家に帰りたいという父親の希望もあり

妹が看護師をしていることもあって

最後は自宅で亡くなりました。

 

 

肺がんで亡くなるときは

すごく辛い亡くなり方をすると

いろいろ言われていました。

息をするのが凄く辛そうとか

淡がからんで辛そうとか

 

ガンの中でも一番つらい症状が出ると

言われていました。

 

しかし父親は

淡がからむこともなく

そんなに息をするのが辛そうでもなく

多少は息をするのがしんどそうでしたが

 

最後はただ普通に

呼吸が止まる感じで

静かに息を引き取りました。

 

父親の死に方を目にした子供や孫たちは

死に対しての恐怖が減ったのではないかと

思っています。

 

少なくとも私は

こうやって死ねるんだという

安心感が生まれ

死に対する恐怖がかなり減りました。

 

父親はなんでこんなに

あざやかな死に方ができたのだろうかと

私なりに考えました。

 

それは自分が肺がんだということに

とらわれていなかったからだと

思います。

 

父親は余命半年といわれてからも

まったく普通に暮らしていました。

 

寝床から起き上がれなくなってからも

「今日は大型ごみの日だから、

 あれとこれを出しておいてくれ」とか

「そろそろ玉ねぎを収穫してくれ」とか

そんな心配ばかりしていました。

 

自分は肺がんだということを

知らないのではと思うくらい

全く普通の会話を最後までしていました。

 

私には経験がないので

はっきりはわかりませんが

なにかの病気で余命を言い渡されたら

これから死が迫ってくるわけで

前と変わらない生活するのは

難しくなると思います。

 

これからどんな症状が出るのだろうとか

いろんな恐怖に襲われると思います。

 

しかし父親は最後まで普通にしていました。

自分が肺がんだということに

とらわれていませんでした。

 

それがあざやかな死に方ができた

理由ではないかと思います。

 

とらわれない生き方

 

父親が最後に素晴らしい

生き方を見せてくれました。