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私の役割

 

私がこんな人になりたいと

具体的に思えたのは

しんそう療方の創始者でした。

 

圧倒的な技術で身体をなおし

患者さんもただただ感謝みたいな

スケールの大きな方でした。

 

そうした方でしたから

教えを請いたい人が自然と集まり

しんそう療方の研修会が開かれるように

なりました。

 

そんな研修会に私も参加して

技術の習得のために頑張っていたんですが

同期の研修生に比べて

自分がどんくさいことに気づきました。

 

それでもあきらめずに練習し続けて

そのうち私の技術でも

患者さんが集まるようになってきました。

 

それからも研修会はずっと参加し続けていて

ある日創始者から

「研修会で講義をやれ」と言われ

それから私が研修会で

解剖などの座学を担当するようになりました。

 

講義を続けていたら今度は

「基礎科を任す」と言われ

基礎科生を教えるようになりました。

 

それから数年が経ち

創始者が亡くなって

今は京都研修会の代表理事になっています。

 

技術はそれなりに上達しましたが

まだまだ上手い仲間がいて

そんな仲間に追いつこうと

励んでいる状態です。

 

創始者の技術に憧れて

頑張ってきて

技術的にはまだまだですが

なぜかしんそう療方を教える立場に

なっていました。

 

自分はあまり意識していなかったのですが

私は教えるのに向いていたのか

周りが私をそんな立場にしてくれました。

 

今世の私の役割は

しんそう療方を広める

ことだったのかもしれません。

 

それでも私がなりたかったことは

創始者のような技術を習得することです。

 

その夢も諦めず頑張っていきます。